Jan 28, 2009

思い出の国私の旅は、北海道

娘の友人が北海道に引っ越してしまいました。仲良しだったので、春休みに名古屋で、その友達に会いに、北海道に出て行きました。娘は飛行機で国内旅行は初めてです。友人の金持ちは、空港まで迎えに来てくれて、いざドライブ。私も春の北海道は初めての観光シーズン以外の時期にも非常に新鮮でした。広大な敷地にまっすぐ長続いており、"鹿注意""ゴムジュウイ"なんだと表紙がいかにも北海道っぽく娘も私もゴキゲン。友人の両親との楽しい時間を過ごしました。このような観光目的ではなく、国内旅行もいいですね。
私は個人の卒業旅行や、一度も行ったことがない。友達の両方に行こうともしなかった。も、大学に行っていないですから、卒業旅行や、通常は、種類でしょうか?バイトすることができるのもなかったし、無理もないかもしれません。しかし、学生時代、ある友人に聞いてみると、ああ、一度行っておけば良かったと本当に思いました。
 午前7時、公邸発。同2分、官邸着。同3分、執務室へ。同4分、福山哲郎官房副長官が入った。
 午前7時50分、福山氏が出た。
 午前7時55分から同8時53分まで、福山官房副長官。同54分、執務室を出て、同55分、官邸発。同56分、国会着。同58分、衆院第1委員室へ。同59分、衆院予算委員会開会。
 午後0時26分、衆院予算委散会。同27分、衆院第1委員室を出て、同28分、国会発。同30分、官邸着。同31分、執務室へ。
 午後1時56分から同2時20分まで、植松信一内閣情報官。同21分から同36分まで、篠原孝農林水産副大臣、皆川芳嗣林野庁長官。
 午後2時49分から同3時11分まで、平野達男復興担当相、山口壮内閣府副大臣、峰久幸義復興対策本部事務局長。
 午後3時51分、執務室を出て、同52分、官邸発。同53分、国会着。同55分、衆院議長応接室へ。同4時、同室を出て衆院本会議場へ。同2分、衆院本会議開会。
 午後4時41分、衆院本会議散会。同42分、衆院本会議場を出て、同43分から同53分まで、衆院の横路孝弘、衛藤征士郎正副議長、川端達夫議院運営委員長、与野党各会派にあいさつ回り。野田佳彦財務相、枝野幸男官房長官、安住淳民主党国対委員長ら同行。同55分、国会発。同57分、官邸着。同58分、執務室へ。同59分から同5時9分まで、細野豪志原発事故担当相。
 午後5時13分、執務室を出て特別応接室へ。同14分から同22分まで、関水康司国際海事機関(IMO)次期事務局長が表敬。同23分、同室を出て執務室へ。
 午後5時24分から同6時4分まで、養老孟司東大名誉教授、アウトドアライターの天野礼子氏、中島浩一郎銘建工業社長、皆川林野庁長官。同7分、執務室を出て大会議室へ。同8分から同33分まで、「新しい公共」推進会議。同34分、同室を出て、同35分、執務室へ。
 午後6時53分から同7時3分まで、寺田学民主党衆院議員。同49分、執務室を出て、同50分、官邸発。同52分、公邸着。(了)

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 東日本大震災による津波で水損し汚泥にまみれた写真を復元して持ち主らのもとに届けようと、香川県さぬき市の写真店主、新名豊さん(46)が写真を修復する支援活動に励んでいる。「写真は誰にとっても大切な宝物。1枚でも多く元どおりにし、持ち主らに返してあげたい」。そんな一心で、被災地から写真を取り寄せては、1枚ずつ丁寧に手洗いする新名さん。1人で店を切り盛りする傍ら、地道に取り組み続ける活動は着実に実を結び、被災から蘇った写真はすでに5千枚に達している。

 家族や学校、職場の仲間同士、結婚式の新郎新婦、プリクラ…。被災地の宮城県気仙沼市から届けられる泥で汚れた写真。傷がつかないよう1枚ずつ手作業で水ですすいだうえ、定着液につけて表面を保護し、風通しの良い場所で乾かす。

 震災から4カ月がたち、台紙がカビだらけで、プリントの大半が消えてしまった写真も少なくないが、新名さんは「顔や手がかりになる場所などが少しでも写っている限りは」と修復に全力を傾ける。

 震災直後、新名さんはニュースで被災者が写真やアルバムなどを探している姿を目の当たりにした。「自分の技術が少しでも役立てば」と、被災地で写真修復の支援活動に取り組みたいと思ったが、店には従業員もいないため留守にできず断念せざるを得なかった。

 その後、インターネットで、被災地に赴かなくてもできる写真修復のボランティア活動「思い出は流れない写真救済プロジェクト」が各地で行われていることを知った。このうち、大阪市のNPO法人「ハートフレンド」の活動に参加を申し入れ、四国では唯一のボランティアとして6月19日から仕事の合間を縫って修復作業に取り組み始めた。

 多い日には約300枚修復し、蘇った写真はポケットアルバムに入れて気仙沼市の発送元に送り返す。1日も早く持ち主らのもとに戻るよう、手がかりになる写真はアルバムの表紙につけるなど、心を砕く。

 新名さんは「写真の大切さは、自分が誰よりも知っている。これからもできる範囲で支援を続けたい」と話している。

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